行方不明の引越し魔

私がロンドンで貧乏学生生活をしていた頃、どういう訳かいい部屋に落ち着く運が全くなくて、二桁の回数の引越しをしてしまった。引越したいと思って引越したことなんて一度もない。ただ、大家さんが違法に公団を貸し出していたのがばれて、入居人は私を含め全員放り出されたり、余りの貧乏具合のせいで借りた部屋が小汚すぎて「もう無理だ」という精神状態に陥ったり、ネズミとゴキブリが毎日出没して「これはそろそろ健康に悪いんでは」と思うようになったから、いやいやながら引越していた。ネズミとゴキブリの部屋にいた時なんて、ベッドに座ってテレビを見ていたら手の甲の上をネズミが走り去っていった。あのちょろちょろした尖った指の感覚を私はいつまでも忘れない。

引越しと言っても貧乏人にできることは高が知れていて、劣悪物件から別の劣悪物件に渡り歩いていただけだ。最初は何とかなりそうだと思っても、そのうち二階の風呂場からの水漏れで台所の天井が抜けそうになったり、隣近所の住人がいっせいにシャワーを使い始める朝の時間帯になると水道から水が一滴も出なかったり、イライラすることに結局遭遇するのだった。そういった悪条件の物件は家賃も安い代わりに治安の悪い地域にあって、昼間から階段の踊り場で小学生が大麻タバコをふかしていたりした。私は強盗にあったこともある。

引越すたびに実家に新住所の連絡をしていたが、「また引越し?」と嫌味を言われるのが面倒になってそのうち引越しても連絡しなくなった。そうしたら送った郵便物が「受取人宛所に尋ねあらず」になって日本に戻ったらしく、実家は私が行方不明になったと思い込んでパニックに陥ってしまった。私の携帯電話に連絡しても出ない。どこで何をしているのか根ほり葉ほり聞かれ、いちいち嫌味を言われるのが面倒だったので出なかったのだ。重要な用件なら留守電に残してくれると思ったのだが、英語の「発信音の後にご用件を…」が理解できなかったと見えて、「この電話番号は現在使われておりません」と混同してしまったらしい。連絡がついた時、近所出身の国会議員に頼んで捜索してもらうという案も出たと言われた。心配かけて悪かったが、一つ言わせてもらってよければ、近所でも有名なへっぽこ議員に見つかるほど私も馬鹿じゃない。いずれにせよ失踪したかったのではなく、ただ再び引越しただけなのだった。

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